反田恭平といえば、今や、もっとも輝いているピアニストですよね!
2021年 第18回ショパン国際ピアノコンクールで見事2位を獲得して、日本のみならず、世界に新時代のピアニストとして、その存在が知れ渡り、地球の裏側からもオファーが殺到しているとか~
その反田恭平が得意とする楽曲に、ロシアのラフマニノフの作品があります。
ラフマニノフの作品は、どことなく憂鬱な雰囲気のメロディーや重厚感、悲哀な響きが、ロシアの広大な大地を思わせるもので、どこか暗い感じがしますが、ロマンスやドラマチックな部分も感じさせ、一度聴いたら、いつまでも曲の余韻が深く残る名曲ですよね・・
今回、ロシアのラフマニノフの作品の中から、反田恭平演奏の、
【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】がCDに収録されているので、紹介しますね・・
ピアニストとして若きホープの反田恭平が、難曲中の難曲といわれる【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】をどのように弾きこなしているか、ぜひCDを手に入れて聴いてみてください!
反田恭平のラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
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↑↑<反田恭平【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】第1楽章の演奏>
【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】は、ピアノ協奏曲の中でも<難曲中の難曲>といわれていますが、反田恭平によるピアノ演奏は、いかがでしょうか?
作曲者のラフマニノフは、身体が大きく、背丈も190㎝以上あり、片手で12度の音程(ドからドのオクターヴ、プラスソまで)を取ることができ、更に柔軟な関節を持っていた指が自在に手の中をくぐって間の音を拾っていたと言います。
ピアニストでもあるラフマニノフが、その大きな手で演奏しながら作曲すれば、おのずと、彼より手が小さい人は、演奏困難にもなるでしょうネ・・
【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】は、1909年の夏に作曲され、タンボフ州イワノフカの別荘で、同年秋に予定していた第1回アメリカ演奏旅行のために作曲されて、同年11月にニューヨークでラフマニノフ自身のピアノ演奏によって初演されたのです。
【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】は、ピアノ協奏曲第2番と共に、ラフマニノフの代表作のひとつであり、人気の作品ですが、演奏者にとって難易度が高いことでも有名な作品なのですね・・
ラフマニノフの曲は、短調の暗い憂鬱な中にもロマンがあるメロディー、広大なロシアの大地を思わせる重厚感のある音質のものが特徴とされています。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は技術的難易度の高く、また、ピアニストの技量の見せ場でもある曲ですが、反田恭平は水を得た魚のように嬉々として数々の難所をクリアし、磨き抜かれた美技を惜しげもなく披露している、と言われていますし、反田恭平自身も、得意な楽曲のひとつ、と言ってますね・・
反田恭平の【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】演奏のCDにて、その素晴らしい響きをぜひ堪能してみてくださいネ!
反田恭平のラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番のCD
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反田恭平演奏の【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】他が CDに収録されていますので、収録内容については、下記を見て頂ければと思います。
CD:1
ラフマニノフ
1.ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30 第1楽章 Allegro ma non tanto
2.ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30 第2楽章 Intermezzo:Adagio
3.ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30 第3楽章 Finale:Alla breve
4.ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36(1931年改訂版) 第1楽章 Allegro agitato
5.ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36(1931年改訂版) 第2楽章 Non allegro-Lento
6.ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36(1931年改訂版) 第3楽章 L’istesso tempo-Allegro molto
7.10の前奏曲 作品23 第2番 変ロ長調
8.10の前奏曲 作品23 第4番 ニ長調
<https://item.rakuten.co.jp/felista/azncocq-85458/ から転載>
共演は、ロシアで長年音楽界を牽引してきた指揮者・アレクサンドル・スラドコフスキー氏と、6月のツアーで絆を深めたロシア屈指の名門オケ「ロシア・ナショナル管弦楽団」。
反田が3年半の留学生活を送ったラフマニノフの祖国・ロシアのモスクワにて録音された。
カップリングには、同じくラフマニノフの「ピアノ・ソナタ第2番」等を収録している。
ピアニスト 反田恭平のプロフィール
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ピアニスト 反田恭平のプロフィルを簡単に紹介しますね・・
反田恭平は、1994年、北海道札幌生まれ、東京育ち。
肩書は、ピアニスト、指揮者、実業家、ジャパンナショナルオーケストラ代表。
父はサラリーマン、母は専業主婦。
サッカー少年で、将来、サッカー選手になるのが夢だったが、小学5年11歳の時、サッカーで手首骨折したのをきっかけに、サッカー選手の夢をあきらめ、4歳から趣味で習っていたピアノだったが、12歳でピアニストを目指すことに変更し、音楽高校に進もうとするが、父親が反対し、中々承諾が得られなかったと言います。
父親からは、ピアノコンクールで1位を取ること、と条件が出され、彼はいくつかのピアノコンクールを受けて、1位を獲得し、やっと父親に音楽高校へ進むことを承諾してもらい、桐朋音楽女子高校ピアノ学科に入学できるのです。
2012年高校在学中に、第81回日本音楽コンクール第1位入賞。併せて聴衆賞を含む4つの特別賞を受賞します。
2014年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に首席で入学して、
2015年イタリアで行われている「チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクール」古典派部門で優勝します。
その後マリインスキー劇場管弦楽団と共演し、ロシアデビューを飾るのです。
2016年のサントリーホール大ホールでのデビュー・リサイタルは完売、2000人の聴衆を魅了した。また、モスクワにて開催された「モーツァルト生誕260周年記念コンサート」には日本人代表として選抜され、モスクワ音楽院大ホールにてコンチェルトを演奏し、この模様はロシア国営放送で大きく取り上げられたのです。
以降、世界各国でリサイタルやツアーを開催し、「最もチケットがとれないピアニスト」と評される。
テレビ番組にもたびたび出演し、知名度はバツグンとなる。
2021年 第18回ショパン国際ピアノコンクールで第2位を獲得。
「世界が一気に変わった!」と語っているように、世界からも多くのオファーがあるようになったのですね・・
まとめ
今回、2021年の「ショパン国際ピアノコンクール」で2位を隔得して、世界にその名が知られるようになり、今や大人気の新時代のピアニスト、反田恭平が演奏する【ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番】の作品内容やCDの紹介、反田恭平のプロフィルなどをお話しましたが、いかがでしたでしょうか?
反田恭平は、高校卒業後、ロシアのモスクワ音楽院に留学して、日本とは違う広大な厳しい自然環境の中、音楽のみならず、ロシア語などの言葉や、国民性などを身をもって体感しつつ、
ロシア出身のチャイコフスキーやラフマニノフ、プロコイエフの作品に流れる、ロシアの独特な重厚さやロマンなどが、理解できていったのでは、と思われますね!
そんなわけで、反田恭平は、このようなロシアの巨匠の作品も、高難度ではありますが、彼の才能にして、得意の分野になったのでしょうね・・
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